せっかく今世に生まれてきたのだから、わたしは
「魂の友を増やしたい」と思っています。
だから、この人のここが素晴らしい!と思ったら、
ご本人の目を見て、ストレートに褒めます。
「きっと帰国子女だから、褒めるのが上手でいらっしゃるのね」
以前、そう言われたことがあります。
なるほど、外国人はとても素直にオーバーに人を褒めます。
しかし、決してそれがぶしつけでも嫌味でもなく、
無邪気な子どもに褒められたときのようなうれしい気持ちになります。
外国人に比べると、確かに日本人は奥ゆかしいですね。
でも、別にわたしは「何がなんでも大げさに褒めてあげたい!」と
考えているわけではないのです。
「相手のことをもっと知りたい」という好奇心が強いので、
おのずとその人のいいところがわかってくるのです。
また、
「相手が気づいていない素敵なところを教えて、役に立ちたい」
という気持ちもあります。
すると、
「大雑把でルーズなところが自分でも嫌になる」と言う人に、
「でも、わたしはそのおおらさかに救われているわ」と伝えられるし、
「短気で、すぐに言い過ぎちゃうの」と言う人には、
「だけどすぐに気分が切り替わるのがいいところ」だと伝えられます。
うつ病で悩んでいる人に対しても、
ただ、「おかわいそうに」と同情するだけではなく、
「あなたはとても繊細でやさしいから、ほかの人が感知しない
感情までキャッチしてしまうのね」と、言葉にしてさしあげることはできます。
もしも、面と向かって相手を褒めるのはどうしても恥ずかしい、と感じたら、
ほかの人の前で「あの人のこんなところが素敵だと思っている」と
伝えてみてはいかがでしょうか。
回りまわって、別の人から聞く褒め言葉は、
伝言してくれる人の波動も宿って、また格別な響きになります。
どんな美辞麗句も、心がこもっていなければ
よくできたイミテーションに過ぎません。
そこに「愛の波動」は宿らないのです。
本物の愛の波動が宿った言葉であれば、
(たとえ本人の耳に入ることがなくても)
ちゃんと心地のよい波動は相手に届きます。
いつもありがとうございます。スイスより愛を込めて
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