3月10日は東京大空襲があった日です。
まだ、73年しか経っていません。


1945年3月10日未明、
300機を超す米軍の大型爆撃機が東京下町の上空に姿を現し、
38万発1,700トンもの焼夷弾を投下しました。

下町は木造住宅が密集していたため、あっという間に火が回り、
北西の季節風に煽られ炎が広範囲で吹き荒れる状況が出現しました。

防空壕や人々が避難した公園や隅田川にかかる橋なども炎が飲み込み、
わずか一晩で10万人もの犠牲者が出たのです。

この空襲から、米軍は軍事施設を標的にした攻撃から
住宅街を無差別に空襲する作戦に変えたのでした。

・・・
以上は以下のサイトからの抜粋です
未来に残す 戦争の記録

東京大空襲とは
ウィクペディアには以下のような説明があります

東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)は、
第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた、
東京に対する焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称。

日本各地に対する日本本土空襲
都市部を標的とした無差別爆撃によって民間人に大きな被害を与えた。

早乙女勝元によれば、空襲としては史上最大規模の大量虐殺とされる[1]
 

東京は1944年昭和19年)11月14日以降、106回の空襲を受けたが、
特に1945年(昭和20年)3月10日4月13日4月15日5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。

その中でも「東京大空襲」と言った場合、
死者数が10万人以上の1945年3月10日の空襲(下町空襲)を指すことが多い[2][3]

この3月10日の空襲だけで罹災者は100万人を超えた[3]



戦後育ちの私たちには想像できませんね。
映画の世界です。

世界各地ではまだ紛争が続いている地域もあります。


世界平和のための活動や努力をしなくてはならないと思います。

 過去の戦争の動画は衝撃的です。


 



アメリカから見た
日本の歴史教科書には記述されない部分
第二次世界大戦


東京大空襲と警報



東京を爆撃した兵士達〜アメリカ軍パイロット
60年後の証言〜(1)


サイパンの話があります。
戦争体験した母はサイパンやグアムでは
悲しすぎて
海水浴をする気にならないと話します。

戦争は誰が起こしているのでしょうか?????
世界の真実を学ぶ必要もありますね〜

世界平和を強く祈念し、
戦争で犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。
 


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私が滞在していた永世中立国スイス

(平和を愛するスイス人はしっかり国防しています)